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インドネシアの宗教

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こちらではインドネシアの宗教を紹介しています。

おことわり

このページは、2010年11月25日を最後に、記事内容の更新がされておりません。
現在の情報とは異なる部分が存在する可能性がありますので、大変申し訳御座いませんが、その旨ご理解の上でご覧頂ければ幸いです。

宗教の現在

インドネシア共和国は、一種の宗教国家です。

国民の大多数である約87%がイスラム教を信仰しており、 インドネシア社会におけるイスラム教の中心性は顕著であると言えます。

と言っても、イスラム教が国教であるという訳ではありません。

政府はイスラム教とともに、キリスト教プロテスタント(約7%)、キリスト教カトリック(約3%)、 ヒンズー教(約2%)、仏教(約1%)の五大宗教を国家公認の宗教と定め、 平等に憲法上の権利保障の対象とする基本方針を採っています。

これら宗教別人口の分布には、かなり地理的偏りが見られますが、 これについては、各宗教の内容とともにこれから御紹介していきましょう。

イスラム教

インドネシアでは、イスラム教は多数派で、国民の約87%が信仰しています。
バリ島、フローレス島等の小スンダ列島、イリアン・ジャヤでは少数派ですが、その他の地域は大体が多数派となっています。

13世紀のアラブやインドから来た商人たちによって伝えられ、北スマトラからジャワへと伝播していきました。

イスラム教は、7世紀の初めアラビア半島でマホメットが起こしたキリスト教、仏教に並ぶ世界3大宗教の1つです。
経典はクルアーン(俗にコーラン)で、この中に定める5つの戒律の実践が、インドネシア人の日常生活を強く支配しています。

  1. 信仰の告白…「アラーの他に神なく、マホメットはその使徒である」を唱える。
  2. 礼拝…1日5回(夜明け前・正午・午後・日没・夜半)メッカに向かって礼拝。金曜正午にモスクで礼拝。
  3. 喜捨…富める人は、貧しい人に施しをする。
  4. ラマダン月の断食…この間日の出ている内は飲食を断たなければならない(唾もNG)。
  5. メッカ巡礼…イスラム歴12月7日にメッカに巡礼に行く(信者の夢。借金してでも行く!)。

その他、生活習慣として、左手は不浄の手と言われ、食事、物の受け渡し、握手に使わない、 人前で肌を露出しない、お酒は禁止、豚肉は食べてはいけない等が義務付けられています。

しかし、インドネシアのイスラム教は、中近東に比べると戒律が緩やかで、あまり人々を拘束しません。

最初のイスラム王国は、北スマトラのサムドラ・パサイ(13世紀)ですが、 当時の大国であるジャワのマジャパイト王国によって滅ぼされてしまいます。
1487年、ジャワ島沿岸の小王国連合によってマジャパイト王国が打ち破られ滅びてからは、 急速にイスラム教がジャワ島を覆っていきました。

インドネシア共和国では、マホメット昇天日、イドゥル・フィトリ(レバラン断食明け祭り:ラマダン断食終了日の翌日・翌々日)、 イドゥル・アドハ(犠牲祭)、イスラム正月、マホメット降誕日(全て毎年11日早くなる)が祝祭日となっています。

キリスト教プロテスタント

インドネシアでは、キリスト教プロテスタントはイスラム教に次ぐ多数派です。(一応…)
特に、スラウェシ島北部やイリアン・ジャヤでは過半数がキリスト教プロテスタントで、イスラム教は少数派となっています。

16世紀頃からヨーロッパ人が渡来しており、特にオランダの植民地支配の影響から、 この地方にプロテスタントの信仰が広まり根付いていると思われます。

インドネシア共和国では、キリスト生誕の日(12月25日)と、キリスト受難(十字架に貼り付けにされた)の日(毎年日にちがずれる)、キリスト昇天の日(毎年日にちがずれる)が祝祭日となっています。

キリスト教カトリック

インドネシアでは、キリスト教カトリックは少数派です。(3番目に多いですが…)
特に、スンバ島、フローレス島からティモール島にかけての島々では過半数がキリスト教カトリックで、 イスラム教は少数派となっています。

16世紀頃からヨーロッパ人が渡来しており、特にポルトガルの植民地支配の影響から、 この地方にカトリックの信仰が広まり根付いていると思われます。

インドネシア共和国では、キリスト生誕の日(12月25日)と、 キリスト受難(十字架に貼り付けにされた)の日(毎年日にちがずれる)、キリスト昇天の日(毎年日にちがずれる)が祝祭日となっています。

ヒンズー教

現在、インドネシアでは、ヒンズー教は五大宗教の中で2番目の少数派です。
特に、バリ島では人口の約93%がヒンズー教で、イスラム教は少数派となっています。

ヒンズー教は別名インド教とも呼ばれており、インドの文化・慣習を集大成したものと言ってよい程、インド的な宗教です。
古代のインドネシア人はインドから多くの文化を吸収しており、その大きな役割を果たしたのがヒンズー教であったと言う訳です。

ヒンズー教徒が大多数を占めるバリ島では、長い歴史を通じてヒンズー教を生活の中に融合させていっており、 カースト制度も緩やかに取り入れられ、ジャワ島が急速にイスラム化していく中で、 マジャパイトの貴族や学者、踊り子達多数がバリに移り住んだと言われています。
従ってバリは、ジャワ古来の文化をもその中に抱え込んでいる地域であると言えます。

最初にヒンズー様式を採り入れたインドネシアの王国は、東カリマンタンのクタイ王国(4世紀頃)です。
クタイ王国に続いて450年頃、現在のジャカルタ市の南約60kmにあるボゴール市付近を中心にタルマ王国が栄え、現在もその王宮の跡が残っています。

当時、ヒンズー教を中心とするインドの文明の波は、西スマトラから東はスラウェシ、バリまで覆っていました。
バリにヒンズー教を信奉する王朝がつくられたのもこの頃です。

以後、ヒンズー教を信奉していた国は2つ存在しました。
1つは8世紀〜1017年頃に中部ジャワ全域と東部ジャワの一部を支配していたマタラム王国で、 もう1つは1294〜1487年に最大で現インドネシアとマレー半島、フィリピンの一部までを支配したマジャパイト王国です。

前者は農業を主としていた王国で、現在ジョグジャカルタ市やソロ市周辺に多数残るチャンディ(ヒンズー寺院)は、この王国が建立したものです。

一方、後者は1000年以上も続いたヒンズー時代最後にしてインドネシア史上最大の王国です。
しかし15世紀に入ってからは、イスラム教の台頭により、 マジャパイト王国は滅びていしまい、ヒンズー教は歴史の表舞台から姿を消すことになります。

インドネシア共和国では、毎年1日(毎年日にちがずれる)、ニュピ(バリ暦の正月)が祝祭日となっています。

仏教

現在、インドネシアでは、仏教は五大宗教の中で一番の少数派です。

仏教はヒンズー教と同様、インドから伝来した宗教ですが、両者には大きな違いがあります。

最大の違いは、ヒンズー教が身分による差別、カースト制を認めるのに対し、仏教では人は全て平等であると説いていることです。
それにも関わらず、インドネシアでは両者の間に紛争が起こることはなく、共存していました。

また14世紀には、ヒンズー教と仏教は合一し、ジャワ化しています。
これはインドネシアの大きな特徴であると言えるでしょう。

過去仏教を信奉していた国は2つ存在しました。
1つは4〜14世紀に南スマトラを中心に栄えたスリウィジャヤ王国で、 もう1つは775年頃〜850年に中部ジャワで栄えたシャイレンドラ王国です。

前者スリウィジャヤの都は、特に仏教研究の中心地で、当時仏教は中国にも広まっており、 中国人が仏教に関する学問を深める為にインドへ赴く途中、スリウィジャヤに立ち寄る人が多かったようです。

一方、後者シャイレンドラは建国後まもなくスリウィジャヤと合一し、貿易と農業によって得た富を用いて、 有名な世界最大の仏教寺院ボロブドゥール等の仏教寺院を建立しました。
その後、イスラム教の台頭等により、仏教は歴史の表舞台から姿を消すことになります。

インドネシア共和国では1983年より、毎年1日(毎年日にちがずれる)、 ゴータマ・シッダールタ(釈迦)の誕生日(ブッダ正月)が祝祭日となっています。

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